こんばんは!かんざし工房の神谷です!
本日はお休みのため、体験でジムに行き
喜び勇んでいろんなレッスン受けたらすでに全身筋肉痛…
明日からの仕事が心配です。
と、スミマセン。私事でした。
本日は、簪の種類の歴史編。
前回、簪はなんと縄文時代からあった!!なんてお話致しましたが。
・平打簪 形が薄く平たい銀製のものが主で(それらを挿して特に銀平(ぎんひら)
と呼ぶこともある)、円形・亀甲形・菱形・花型などのわくの中に、透かし彫りや、
毛彫りで定紋・花文などをあらわしたものです。定紋は、武家などの婦人が用い
ましたが、芸者さんなどでは、好きな人の家紋や、名前の頭文字を彫りつけたと
いう話もあります。変わった柄のものでは、団扇・開き扇子・銀杏・桐・笹などを
象ったものがあり、特に団扇形のものは夏すがたの髪飾りとして季節感があること
から風流を好んだ江戸時代の人々に好まれ、銀、鼈甲、象牙など、さまざまな素材が
用いられました。
・玉簪は、耳掻き簪に玉を一つ挿しただけのシンプルなものです。しかしながら、玉簪
ほど日本の女性に広く用いられ、かつ現代まで愛され続けている簪はないといっても
過言ではないでしょう。江戸時代を過ぎて、明治・大正期になっても丸髷や銀杏返しの
後ろ挿しとして、廃れることなく、現代まで連綿と用いられてきました。
玉の色や足の素材による組み合わせによって、様々なタイプのものが存在すること
からも、その人気が分ります。かんざしの足は1本足と2本足のものがあります。
・チリカン…芸者衆などが前差として用いる金属製の簪の1つで、頭の飾り部分が
バネ(スプリング)で支えられているので、ゆらゆらと揺れるのが特徴です。飾りが
揺れて触れ合い、ちりちりと音を立てることからこの名称があります。飾りの
下側には細長い板状のビラが下がっていて、こちらも小さな音をたてます。
・ビラカン…主に金属製で、頭の部分が扇子のような形状をしているものや、丸い形の
ものがあり、家紋が捺されています。頭の平たい部分の周りに、ぐるりと細長い
板状のビラが下がっているもので、耳かきの無い平打に、ビラをつけたような
形状といえます。現代の舞妓もこれを用い(芸者になったら使用しない)、前挿しに
します。その場合は右のこめかみ辺りにビラカン、左にはつまみかんざしを挿します。
・松葉簪は、散り松葉に似ているのでこの呼び名があります。耳掻き簪についでシン
プルな形をした簪で、浮世絵の美人画にも多く見受けられます。関東(吉原)の
太夫用のかんざしセットの中にも含まれます。
・吉丁(よしちょう)は、耳掻きをそのまま大きくしたような意匠のつかない簪で、
この形の華奢なものを髪掻きともいいます。結髪の場合には、指先でも頭皮を掻く
ことはできないので、このような簪の先端を用いたものと思われます。この耳掻き
が簪につけられたものはすでに古代にもあり、古墳からの出土品の中にも見られる
のですが、江戸時代になって改めて流行した起源については、若狭守宗直が命じて
作らせ、これをかんざしみみかきと称し、便利なものとして知人にプレゼントした
ところ、大変に喜ばれ、流行したという内容の文献が残されています。当時のアイ
デア商品だったと言えるでしょう。他にも、享保三、四年ごろに耳掻き簪が出始め、
これが大変に流行り、簪といえば耳掻きがついているものになっているとか、芸妓
さんの使っている大きな耳掻き簪を、他国の人が見たならば、日本の女性の耳の穴は
なんと大きいことかと誤解されるのではなどといったエピソードまであるほど、大変
に浸透していたようです。素材も金属製、べっ甲が主流でしたが、現在では金属や
プラスティック製のものが多くなっています。既婚女性などは左のこめかみあたりに
1本、シンプルに挿したようです。芸者が2本以上の着用を許されなかったのに対し、
遊女は多くの吉丁を髮へ装着していたことで見分けることができます。表面に彫りを
施したものや飾りのついたものも数多くありますが、当店では前髪に挿す用ならば
吉丁、後ろ髪に挿すならば飾りかんざしというふうに分けています。ちなみに
関東では丸型、関西では角型の耳かきものを使ったとされています。
びらびら簪…江戸時代(寛政年間)に登場した未婚女性向けのかんざしです。本体
から鎖が何本も下がっていて、その先に蝶や鳥などの飾り物が下がっている派手な
ものを指します。裕福な商人の娘などが使ったもので、既婚者や婚約を済ませた
ものは身に付けないとされました。左のこめかみあたりに挿す用途のもので、
かんざしの中でも特に華やかなものといえます。また、鼈甲や馬爪で、牡丹(ぼたん)や
芍薬(しゃくやく)の大輪の花を象ったものなどは、花の下に鎖状の下がりを
三筋、五筋、七筋と垂らして、その下にさらに小さな花の飾りをつけるなど、
手の込んだ、美しく精巧なものがつくられました。この下がりの付いたものを、
俗にびらびらかんざし(またはぴらぴらかんざし)と呼んでいたものです。
当店では、金属なりべっ甲なり、樹脂なりで飾りが付いていて、かつ下がりの
下がっているものをびらびら簪としています。
飾りかんざし…上記の特徴に当てはまらない趣向を凝らした簪のことを指します。
作りは平打などに準じますが、優雅な花鳥風月に止まらず、俵や団扇など身近に
ある器物や野菜や小動物などもモチーフになったようです。基本的に後ろの髷に
挿して使ったものとします。
つまみかんざし…布を小さくカットしたものを、折りたたみ、竹製のピンセットで
つまんで糊をつけ、土台につけていき、幾重にも重ねたりなどして花を表現し、
これをまとめてかんざしにしたものをつまみかんざしといいます。多くは花を
モチーフにしているので「花簪」とも言われます。布は正絹が基本で、かつては
職人さんが自分で染めから手掛けていました。布製のため昔のものは残りにくく、
その辺りも花らしいといえるのではないでしょうか。その起源も古く、薬師寺の
吉祥天女の高髻の周りに花びらの簪が挿してあることから、奈良朝にはあった
ようです。平安朝にも挿頭花(かざし)という名があり、殿上人が花の宴に、
桜や桃などの季節の花を手折って挿したことも花簪の由来といえるでしょう。
この花簪は、一対のものを前髪の左右に挿す場合と、1つだけ挿すのとがあり、
一対のことを江戸では両天、京都では両差しと言ったそうです。江戸中期の
享保から寛政のころに最も流行ったと伝えられます。現代では舞妓さんが使うほか、
子供の七五三の飾りとしてもよく使われています。形状としては、ほぼびらびら簪と
同じですが、こちらは布製ということと、他にも櫛のように頭の前面に飾るもの
(勝山ともいう)も含む名称とさせていただきます。
櫛(くし)…呼称の通り、髪を梳く櫛の形状です。通常は簪とは区別されますが、
櫛は「くし」と呼び「苦死」とも解釈されることから贈り物とする際には目録上は
簪、もしくは髪飾りと呼ぶ建前が珍しくなかったそうです。多くは鼈甲(べっこう)製か、
木に膠や漆を塗り製作されていました。装飾に真珠や螺鈿(らでん)や金箔を使った
蒔絵が施されたものも多くあります。本体部分(峰の部分)は装飾を施すため広い
幅が設けられています。西洋の櫛(コーム)との大きな違いは、日本のものは櫛の
歯が左右の端まで無いことです。これは日本髪という特殊な髪形に対応していった
結果、前櫛として額と頭頂部の中間あたりに挿していたからで、その部分は前髪を
1つにまとめた状態であることからその断面は円に近い形になっており、その部分
だけしか挿すところがないため櫛の中央部分に歯があればよいからだったのです。
・笄(こうがい)とは、もともと男女兼用で髪をまとめるための道具の一つです。
男性の場合、日本刀の柄の部分に仕込まれている小さなナイフ状のものがそれで、
片側は持ち手で(ちょうど耳かきのようになっている)、そこから先端に向って
次第に細くなっていく形状です。髪をまとめる道具としては本当に太いお箸のような
形状で、これに髪を巻きつけてまげを作っていました。
これが次第に髪飾りとしてまげの中にそのまま残すようになっていったのです。
江戸時代になると、棒状の両端がまげから突き出て見えるようにまでになり、
そのため太さも両端が同じで中央部分が細くへと変化してしまいました。
そこで、両端に模様づけしたり、材質を変えて装飾を施したものになったのです。
江戸後期では、笄本来の実用から離れ、まげを作るための道具であったものが
形式的になり、出来上がったまげの中に後から挿し込むようにすらなりました。
このため、笄の中央部分から2つに分解できる差し込み式のものが考案され(特に
中差しともいう)、広く用いられました。また、櫛と笄を揃いの素材、意匠で作り、
セットにしたものも作られるようにもなりました。
また、神前の結婚式で花嫁が着けるものでは、笄の突き出た両端にさらに飾りを
つけてさらに華やかなものになっています。こうなるとどうやっても髷を作る
道具ではあり得ませんね。
どうも、色々な種類が出来たのは江戸時代なのでしょうね!
次回は、簪写真もUPしますね~
今回の種類の簪、なにそれ!と思ったら是非お問い合わせくださいませ!
本日はここまで!
それでは、また!